情報過多の懸念について思った

マンアフターマンの重版はまだかなとか思ってると、果たして人類の今後が本当にあんな奇想奇天烈なものになるものだろうかと訝しくなる。
昨今はモノのインターネットに勃興の兆しがあって、そうなればいずれインターネットがもっと身近なものになる。ちょうどGoogle nowみたいに余計なお世話だよというような情報も次から次へと手元に流れてくるんだろう。
だってフェイスブックの面倒なところは、意図しないつながりを掘り起こすことだと思っている。だからモノのインターネットが浸透すると、次から次に意図しないつながりで情報に溺れることになってしまうかもしれない。
目の前のモニターが起動時間の統計をとっていて、眼に悪いですよと忠告してくれたり、もう寝る前だからブルーライトを削減してくれたり。多分これを望んでいる人は大勢なんだと思うけれど、いずれ煩わしくなってしまう。
グーグルグラスのような拡張現実は様々な情報を目の前に推しだしてくれるはずだ。でも僕らはフィルターを持たなければならない。
ガジェットがそれをサポートしなくても、自分の頭のなかで情報を取捨選択できるような、そういう脳みそにしていかなければ。
何しろ今は情報が多すぎる。そしてこれからも。